はみだし派院長の『言いたい放題』コラム
大学の医局時代から主流派に属してはいるものの、常にはみ出しグループの一員としての存在を
誇示してきた
院長の独断と偏見?に溢れた考えを記載しています。
( それって単に変人だってことじゃないのー? あっ そう?。 そうかも・・・・、ね 。)
「一年間何をしていたのか」
大手紙一面に「一年間何をしていたのか」との論説が掲載された。糾弾の矛先は政府、自治体首長、そして医療界である。
論旨の大半は医療に向けられている。
病院間の連携は貧弱で各地医師会と病院団体の当事者意識の欠如である、と。肺炎などを発症した重傷者には集中治療を、
軽症者には過度の治療は不要。症状が急変した場合は集中治療が可能な病院との連携をとの論旨。
いかにも分析が算数的。それでご名算となれば苦労はしない。小学生にだって出来る。
重傷者用の病院と回復期・軽症者用病院を機能分化し医療圏ごとに確立させる。病院の機能や病床に関する責任は一義的に
知事が負っているって?
認可の権限は有しても現場を把握できる能力を持っている為政者は皆無に等しい。国家資格がなくても首長たる者、自県の合意が
奈辺にあるかを把握し、決断を下せるか、どれだけ将来を見通せるかの器量の有無でしょ。その点で最低、最悪の例が大阪府知事
である。論説筆者の不勉強に唖然とする。医療のスキルを変更するのは容易なことではない。これまで行ってきた医療を放り出して
加勢することになるやも知れぬとなれば二の足を踏むのも理解出来よう。みんなジレンマに辛い思いをしているのだ。知事の正当な
理由?による要請に従っていたらわが国の医療は崩壊する。不要不急の手術などはド素人の発想だ、非常識極まりない。
コロナだけが病気ではない。
飲食店、商業・レジャー施設、交通機関への3度目の緊急事態宣言はコロナに対応できていない医療のせいだと論じている。
ICUにて軽快した患者を軽症病棟に移そうにも転移先が確保できないのは事実である。政府、自治体首長に対しては失策失政が目立ち、
大方の見方は変わらないと思うが、医療界に対する論法には医療従事者の一人として待ったを掛けたい。そもそもわが国の皆保険
制度の上に成り立つ医療制度は制度的には社会主義的であり、自由度は極めて少ない。医療は、技術、薬剤などはすべて国が決めた
点数に基づき価格設定され、その組み合わせによって報酬が支払われる。要するにすべての保険医療は、制度の箱の中でしか医療を
行うことが出来ず逸脱することは許されない。保険制度外の医療は「これは保険適応外です」などというテレビコマーシャルでお馴染みの
美容成形などである。病気でないので健康保険は適応されない。このような仕組みの中で病院、診療所(開業医)などが医療を支えている。
平時には穏やかな医療状況であってもこの度のような新型コロナウィルスパンデミックのごとき緊急事態は想定外なのである。患者には
空気のように在って当然でも医療者に犠牲を強いる健康保険制度には為政者のほぼ全てが「社会保障費の大部分を占める医療費が激増
状態にあり国家予算を圧迫し経済が逼迫に至る」と評価している。従って経済発展一辺倒の政策は医療費の削減に舵を切ることになるのだ。
目前成果主義に反する公衆衛生領域は縮小され、保健所の削減が実施されてきた。大阪で言うとかつて大阪市区にそれぞれ存在した
保健所は保健センターと改称し保健所機能を消滅される愚政が行われた。人口270万余人の市に住民の公衆衛生業務を担う機関がたった
1箇所になってしまった。コロナウィルスの感染発生での行政機関の混乱ぶりはご覧の通りである。このような制度の中、過重労働に耐え
必死に患者を守り、スタッフを守り、家族を守ってきた我々にどれほどの余力があるだろうか。医師会は一国一城の主の集まりといわれるが、
われわれ私的医療機関は公的補助もなく独立採算、患者の減少は倒産なのだ。そのような状況を理解せずしてもの申す論点は不快の極み
である。
May 13. 2021
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院長・副院長の『素朴な疑問と意見』コラム
このページがパンクしそうなので、分割することにしました。
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